著者: 吉澤和子(Kazuko Yoshizawa, Sc.D.)
栄養疫学者(Nutrition Epidemiologist)/グローバルヘルス・ニュートリション スペシャリスト
元WHOコンサルタント(公衆栄養政策および人材育成計画を担当)
要約
本稿は、東ティモールにおいてWHOコンサルタントとして関与した国連プロジェクト計画策定の実務を振り返り、限られた資源と期間の中で、何を測り、何を測りきれない価値として残すのかを、どのように判断したのかを整理するものである。
TOR、ODA、SDGsといった制度的枠組みの下で、評価可能な指標を用いた説明責任を果たしつつも、人材育成や制度能力といった短期には測定できない価値を、どのように計画に組み込んだのかを、現場の視点から記録する。
Summary
This article reflects on the author’s experience as a WHO consultant involved in designing a national nutrition capacity-building plan in Timor-Leste. It examines how decisions were made under severe constraints of time, budget, and data availability, particularly regarding what could be measured and what needed to be intentionally left beyond short-term evaluation.
Situated within the institutional frameworks of TORs, ODA, and the SDGs, the article presents a field-grounded account of how measurable indicators were balanced with longer-term investments in institutional and human capacity, acknowledging evaluative uncertainty as part of responsible project design.
プロジェクトの依頼と目的
2016年春、WHO東南アジア局本部より、東ティモール保健省が実施する国家レベルの公衆栄養改善計画に関するコンサルタント業務の依頼があった。主な目的は、同国における公衆栄養分野のキャパシティ・ビルディングを中心とした、持続可能な政策基盤を構築することであった。
この業務の出発点となったのが、TOR(Terms of Reference:業務実施要領)である。TORは、業務の背景、目的、成果物、スケジュール、報告方法を定めた文書であり、国連プロジェクトにおける最低限の契約的枠組みである。
東ティモール:背景と文脈
東ティモール民主共和国は2002年に独立した比較的新しい国家であり、長期にわたる紛争と植民地支配の歴史を経て、国家制度の整備途上にあった。保健分野においても、多くの国際機関やドナーが関与しており、支援の重層化と制度的依存が同時に存在していた。
現地に入って初めて、公式文書では把握しきれない制度運用の実情や、人材不足、意思決定プロセスの脆弱性が明らかになった。プロジェクト計画は、こうした文脈を無視して成立するものではなかった。
TORを読み解き、計画に翻訳する
国連専門家としてプロジェクトに関与する際、TORを形式的に満たすだけでは不十分である。特に公衆栄養分野では、TORに記載されたKPIや成果指標を、現地の制度能力や人材状況に照らして再解釈する必要がある。
本案件では、2年間という限られた期間の中で国家レベルの計画策定が求められていたが、現場で共有された期待との間には明確なギャップが存在していた。TORは完成形ではなく、判断を重ねるための出発点に過ぎなかった。
ODAとキャパシティ・ビルディング
本計画は、日本政府を通じたODA案件であり、日本の援助方針として、人材育成と制度構築を通じた持続可能性が重視されていた。そのため、短期的に数値改善を示すこと以上に、将来にわたって自国で判断し、政策を修正できる能力を残すことが求められた。
統計局を含む人材育成を計画の柱としたのは、即時的なアウトカムを示すためではなく、将来にわたり意味のあるKPIを自ら理解し、運用できる能力を制度として定着させるためであった。
データ分析と優先順位付け
現地で入手可能なデータには質のばらつきがあり、政策判断に耐えないものも少なくなかった。世界銀行などが実施した調査を補完的に用いることで、ようやく全体像を把握することができた。
予算規模は約2億円であり、全国レベルの課題を同時に解決することは明らかに不可能であった。そのため、短期的に測定可能な栄養指標と、長期的な制度基盤整備とを意図的に分けて設計する判断を行った。
SDGsとの関係
国連プロジェクトではSDGsへの貢献が前提となるが、SDGs指標が必ずしも人々の判断能力や制度的自立を反映するとは限らない。本計画では、測定可能な成果と、測定しきれない価値とを区別した上で、後者を切り捨てない設計を行った。
被益者の定義とKPIの選択
本計画において、被益者は東ティモールの国民、特に貧困層であり、保健省が政策を設計する際には、その視点を常に意識する必要があった。そのため、5歳未満児の急性栄養不良(wasting)や慢性栄養不良(stunting)といった指標は、国際的に共有可能であり、援助評価においても用いられているKPIとして、適切に採用された。
制度能力という前提条件
一方で、これらの指標を意味のあるものとして運用するためには、統計学的に正しいデータ収集と、その結果を理解し政策判断に結びつける制度と人材が不可欠である。保健省自身がデータを集め、読み解き、使えるかどうかという制度側の能力は、短期的なKPIでは十分に評価できないが、長期的な政策形成にとって決定的に重要である。
評価できるものと、評価しないと決めたもの
このため本計画では、国民の健康状態は質を担保できる指標で評価しつつ、その前提条件となる統計局のキャパシティ・ビルディングを優先的に位置づけた。評価できるものは評価する。しかし、重要であっても短期に測れない価値を無理にKPI化しないという判断もまた、評価設計の一部であると考えた。
振り返り:評価の難しさ
これらの判断が最適であったかどうかを、単一の指標で評価することは難しい。しかし、限られた条件の下で、誰の選択肢を優先し、どの不可逆的な損失を防ぐかを考え続けたこと自体が、本計画の本質であったと現在では考えている。
著者: 吉澤和子(Kazuko Yoshizawa)
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