Since May 2020

実装の中で失われる問い:SDGs評価とケイパビリティ・アプローチ

ハーバード大学のキャンパスを歩く学生たち。博士号の知を社会実装へとつなぐ姿をイメージさせる風景。
ハーバード大学のキャンパスを歩く学生たち。知を社会実装へとつなぐ場所。
SDGsにおける栄養指標の評価は、平均値の改善を示す一方で、現場の不平等や女性の負担を見えにくくしているという指摘がある。

日本語サマリー

SDGsにおける栄養指標は、多くの国や地域で「改善」を示してきた。しかしその数値の背後で、現場の不平等、女性の負担、選択の自由の欠如が十分に捉えられてきたとは言い難い。本稿は、実務の経験とアマルティア・センのケイパビリティ・アプローチを手がかりに、「測れる改善」と「生きられる改善」の乖離を問い直す。

English Summary

While nutrition indicators under the SDGs have shown measurable improvement, important aspects of lived reality—such as inequality on the ground, women’s unpaid burdens, and freedom of choice—often remain invisible. Drawing on field experience and Amartya Sen’s capability approach, this article critically examines the gap between what can be measured and what truly constitutes meaningful improvement in human lives.

私はかつて、WHOの招聘を受け、東ティモール保健省における栄養政策の策定と実装(2年間)に関わった。資金は日本のODAによるものであった。

その計画では、SDGsに整合的な栄養指標――発育阻害率(stunting)や低体重、そして中等度・軽度を含む栄養不良の改善――を、時系列で示し、成果として説明できる形で評価することが前提として組み込まれていた。

なぜ当時、「結びつける余裕」はなかったのか

私は、アマルティア・センのケイパビリティ・アプローチを知らなかったわけではない。人々が「何を達成したか」だけではなく、「何を実際に選び、生きることができたか」という視点が、開発や栄養政策にとって決定的に重要であることも理解していたと思う。

それでも正直に言えば、当時の私は、その視点を政策評価の枠組みに十分に組み込むことができなかった。忘れていたのではない。むしろ結びつけようとするほど、現実の制約が見えすぎたと言った方が近い。

計画には期限があり、予算には説明責任があり、成果は「数値」で示すことが求められていた。平均的な栄養指標が改善していること、SDGsの進捗として報告可能であること、それ自体が政策の正当性を支える条件だったからである。

平均値は政策を前に進めるが、問いを止めてしまう

SDGsの栄養指標は、国際比較や進捗管理において非常に有効だ。だが、それが全国平均として語られるとき、「誰の栄養が改善され、誰が取り残されたのか」という問いは後景に退きやすい。

現場では、家計内での食料配分、女性の意思決定権、ケア労働の負担、地域間格差など、栄養の実態を左右する条件が確かに存在する。しかし、それらは「測りにくい」「報告しにくい」「合意を作りにくい」ために、評価の枠外へ押し出されやすい。

ケイパビリティの観点から見れば、まさにそこに、政策の成否を分ける条件がある。それでも当時の私は、その問いを評価指標として提示し切れなかった。理由は単純である。結びつける余白が、制度の中に用意されていなかったのだと思う。

いまだから言語化できる「構造的な矛盾」

時間が経った今、私はようやく、当時の違和感を言葉にできるようになった。それは個人の反省というより、SDGsという評価体系と、ケイパビリティ・アプローチのあいだにある構造的な緊張関係である。

SDGsは「何が改善したか」を示す枠組みであり、ケイパビリティ・アプローチは「どのように生きる自由が広がったか」を問う思想だ。両者は対立するものではないが、同じ評価指標の中で自然に結びつくものでもない。

当時の私に足りなかったのは知識ではなく、その緊張関係そのものを可視化する言語だったのだと思う。

過去を否定するのではなく、次につなげるために

もし今、同じ計画に関わるとしたら、私は数値指標に加えて、「誰の選択肢が広がったのか」「誰の負担が固定化されたのか」を問う視点を、少なくとも記録として残そうとするだろう。

それは当時できなかったことへの後悔ではない。むしろ、現場に立った経験があったからこそ、今ようやく見える問いである。ケイパビリティ・アプローチは、実装を否定する思想ではない。実装が進むほど、「何を改善と呼ぶのか」を問い返すための理論である。

だから私は今、当時の経験を、単なる回顧ではなく、評価と実装の時代に向けた論点として書き直したい。――それが、この文章の目的である。

(次記事予告)この問題意識を、より制度論として掘り下げた記事:
「日本の制度は、なぜセンを“受け取れない”のか」


執筆:吉澤和子(Kazuko Yoshizawa, Sc.D.)
栄養疫学者/グローバル・ヘルス・ニュートリションスペシャリスト
元 ハーバード大学 客員サイエンティスト(Visiting Scientist)/元 国連・WHO コンサルタント


© 2026 Kazuko Yoshizawa. All rights reserved. 無断転載・無断使用を禁じます。

コメント