はじめに
米国の学術ジャーナルNatureは、トランプ政権がハーバード大学を含む米国の主要研究大学に対して研究費などを大幅に削減する内容の記事を掲載しています。米国メディアCNNはトランプ政権はハーバード大学が政権の政策要求に従わないと表明したことを受け、複数年にわたる助成金22億ドルと複数年契約6000万ドルを凍結すると発表しました。また、同国メディアロイターは同政権が外国人留学生制限をするなど、大学におおきな痛手を与えようとしており高等教育機関の存在意義が問われています。大学は単なる知識の集積装置ではなく、多様な価値観・文化的背景・視点を交差させる知的プラットフォームとしての役割を果たしてきました。とりわけハーバード大学は、長年にわたり「さまざまな価値観や考え方を取り入れた学び」を教育理念の中核に据え、その実践を続けてきました。グローバルな社会課題の解決に取り組む人材の育成において、この理念が果たす役割は極めて重要です。
博士課程での学びと挑戦
私はハーバード大学で博士課程に在学中、リーダーシップとエビデンスに基づいた意思決定の本質について学ぶ機会を得ました。卒業後、博士号という学術的資格の取得を通じて、科学的知見を社会実装につなげる手法や、多角的な視点から物事を捉える力を培うことができました。とりわけ、異なる国籍・言語・文化的背景をもつ人々と共に学び、議論する経験は、多様性の本質的意義を身体感覚として理解するうえで非常に貴重でした。
このような学びは、その後の実務にも深く結びついています。私は教育・研究に携わるとともに、国連職員・コンサルタントとしてアジア(カンボジア、ミャンマー)やアフリカ(スーダン、リベリア、東ティモール)で、保健・栄養分野の技術協力事業に従事してきました。異文化環境下でのプロジェクト実施には、ハーバードで学んだ異なる背景の尊重と合意形成の手法が不可欠であり、現地の文化・社会制度と調和した形で知識を応用する力が求められました。
卒業生と学長の真摯な対話:ハーバードの文化から
2017年から約6年間、ハーバード大学に客員サイエンティストとして在籍しました。この期間中、卒業生を対象にした学長や副学長との対話会が毎年5月の卒業式前に開催されていることを知り、以降毎年参加してきました。2025年の今年もオンラインで参加し、大学の運営方針や理念の変化に直接触れる貴重な機会となりました。特に、トランプ政権による困難な要求が大学運営にも影を落とすなか、学術の自由や社会貢献というハーバードの根幹にかかわる重大な問題として懸念が示されました。大学は、真理の追求と公共の利益への貢献という理念を守るべく、強い危機感をもって対応を模索している姿勢が率直に語られ、改めてその責任感の重さを実感しました。
卒業生の声と価値観の尊重
今回の会合ではオンライン形式ながら、意見提出の機会も設けられており、私自身、近年の政策動向において多様な価値観が軽視される傾向に対する懸念を学長および運営局に伝えました。他の卒業生からも、それぞれの立場から大学の将来に向けた真摯な問題意識が示されていたように思います。
大学を揺るがす研究費削減の現実
今年行われたオンラインでの会合では、アメリカの連邦政府が研究予算を約22億ドル削減することによって、大学が受ける影響について報告がありました。このような財政的な制限によって、大学では多様な人材を採用するチャンスが減ったり、少数派の学生を支える制度が縮小されたりするおそれがあり、大学の「誰もが学べる環境」が失われてしまう可能性があると懸念されています。
また、研究者の雇用維持が困難となった結果、既に一部で研究者の他機関への移籍や、ポストの消失が生じており、将来的には知的財産(特許や研究成果)としての損失が国家的にも甚大になる可能性があります。学術研究は中長期的な投資を前提とするため、短期的な財政削減は、教育・医療・エネルギー・環境といった分野における国際的な競争力の低下にもつながりかねません。
異文化協働が教える多様性教育の本質
高等教育における「多様な価値観」は、単なる人的属性の多様さを超え、異なる思考法や経験、価値観が交差することで、イノベーションや社会変革の原動力となります。私は国連での現場経験を通じて、文化的背景が異なるパートナーと協働し社会課題に取り組む難しさと意義を実感しました。その際に重要なのは、単に情報を伝える技術ではなく、互いの違いを理解し合い、共有された知を築く姿勢であり、それこそがハーバード大学で学んだ知的態度でした。
おわりに
大学は、さまざまな背景を持つ人々が出会い、学び合う場であり続けることで、社会に新たな知恵や価値を生み出してきました。私自身、国際協力の現場で、文化や価値観の違いを乗り越えて共に課題解決に取り組むことの重要性を痛感してきた立場として、ハーバード大学が学術の自由や多様性、公共性を重んじながら教育と研究を続ける姿勢には深く共感しています。そうした大学のあり方が、今後も揺るがぬものとして保たれることを願い、注視していきたいと思います。。
執筆:吉澤和子Kazuko Yoshizawa(グローバルヘルス・栄養学専門家、Global Health & Nutrition Specialist)
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