SDGsを「自分ごと」にするには無理がある?──持続可能な未来への違和感と問い直し
著者: 吉澤和子(Kazuko Yoshizawa)
はじめに
SDGsという言葉が、当たり前のように日常に溶け込んできました。しかし、その広がりの一方で、どこか表面的で、無理をしているような感覚を覚えることもあります。SDGs(持続可能な開発目標)は、MDGs(ミレニアム開発目標)から進化した国際的なアジェンダです。その歴史と背景をふまえることで、SDGsの本来の意味がより深く見えてきます。本記事では、MDGsからの流れをたどりながら、SDGsの本質や、私たち個人ができること、そしてその限界について考えてみます。
SDGsの広がりと私の違和感
テレビや広告、商品パッケージ、学校教育まで、「SDGs」の文字を目にしない日はありません。17の目標はどれも重要で、社会課題の解決に向けた努力を象徴するものです。しかし、私はこの「SDGsの普及」に対して、ある種の違和感を覚えています。表面的なスローガンに留まり、「やっている感」だけが先行している場面が少なくないからです。
MDGsとのつながりが忘れられている
SDGsは、2000年にスタートしたMDGs(ミレニアム開発目標)をベースにしています。MDGsは、8つの明確な目標に基づき、特に途上国支援を中心に成果を上げてきました。しかし、SDGsが主流になってからというもの、そのルーツや学びが語られることは少なくなりました。持続可能な開発というビジョンは、過去の積み重ねの上にあることを、今一度見直す必要があります。
SDGsの表面的なアピールと立場の違いによる誤解
本気で取り組む企業や自治体がいる一方で、ロゴやデザインだけを活用し、実態が伴わないSDGsの表面的なアピールも見られます。また、国や地域、個人の立場によってSDGsの優先順位や解釈は異なります。すべての人にとって等しく「自分ごと」になるわけではなく、その前提を無視して一律に推奨されることにも、危うさを感じます。
私たち一人ひとりにできることの限界
「一人ひとりがSDGsを実践しよう」とよく言われます。ですが、正直に言えば、それは理想論に過ぎるのではないかと感じています。フェアトレード商品を買う、プラスチックを減らす、省エネを心がける…。その大切さは理解していても、日々の生活の中で無理なく続けることは簡単ではありません。むしろ制度や企業、行政の責任の方が大きいと考えます。
SDGsの本質を問い直す
SDGsとは「持続可能な社会」を目指すための枠組みであり、私たちの経済活動や価値観、社会構造に根本的な問いを投げかけるものです。すべてを個人の努力に委ねるのではなく、制度的支援と環境の整備が求められます。つまり、個人が背負うには重すぎる「持続可能性」こそ、社会全体で支えるべき課題なのです。
違和感から始まる、より深いサステナビリティの実践
SDGsに違和感を持つことは、無関心ではなく、むしろ大切な感受性だと思います。その違和感を出発点に、「私たちは何をすべきか」「社会はどう変わるべきか」を問い直すことが、本当の意味での持続可能な未来に繋がるのではないでしょうか。小さな行動を起こすことに加えて、仕組みそのものを変えていく視点を、私たちは持つ必要があります。
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